hasuvanillaの日記

40代主婦の日記です。

ギフトとは

奈良出身の私には

 

東大寺のお坊さんが奈良駅前に「托鉢」のために立っている光景はお馴染みのもの。

 

「托鉢」とは、僧が修行のため街に立ち、日々の暮らしに必要な最低限のお金を寄付してもらうこと。

 

私が小さい頃から見てきた托鉢僧は、寒い冬でも素足に草履でそこに立ち、お金を入れてもらう入れ物を持ち、ただひたすら般若心経を唱えていました。

 

まだ幼かった私には、お坊さんが単に可哀想な人に思えてしまい、通りがかる時には母に小銭をもらって寄付をするのが習慣でした。

 

この間、奈良で二人のお坊さんが立っているのを見かけました。

 

一方は般若心経を唱え、姿勢良くぴしっと立っている見慣れた風情のお坊さん。


もう一方は曲がった背中に無精髭、目つきの鋭いお坊さんです。お経も唱えていません。よく見ると足元にはボロボロの袋。

 

ホームレスの方なのかな、と。

 

ありのままの姿でお金を下さい、と言うのではなく、どこで手に入れたのか僧侶の格好をして、仮の姿で人の善意につけ込むなんて、と私は腹立たしく思いました。

 

小さかった私が裏切られたような気持ちになったのかもしれません。

 

どうせ真似するならお経くらい練習すればいのに、とか。本物の横でよくできるな、とか。

 

複雑な思いで見ていたのですが。

 

しばらくすると、本物らしき方が帰る様子です。

 

身支度を整えると、静かに偽物らしき方に近づき、自分の入れ物に入ったお金をそっと偽物さんの入れ物に入れ、帰っていかれました。

 


私は、それこそ頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて、なんだか泣きそうになりました。

 

自分が被害を受けたわけでもないのに、腹を立てた私の心の狭さ。

 

相手がどうあれ、淡々と行動したお坊さんの姿。(だって、そうされても偽物さんはお礼することもなく、ブスっとした表情で立っているだけ…)

 

ものすごい衝撃でした。

 

プレゼントや寄付って、相手が喜び感謝することを勝手に期待してやっているんだなあ、ということを改めて感じたし、

そうではない慈善を見せつけられた気がして、自分が恥ずかしくなりました。

 

今の時代に溢れるSNSなどへの厳しいコメントの数々…

 

本来なら赤の他人へ激しい怒りを感じる必要はない。

怒りを深く掘り下げると、意外と自分の中に原因があったりする。

 

自分が正しいと思うことを貫くことと

 

それをしてない人を非難することは

 

別のこと。

 

価値観は人それぞれだから。

 

でもやはり、他人に怒ってしまうことはある。

人間は、いつも綺麗というわけにはいかない。

 

それがまた、人間らしさでもあるのだろうと思うけど

 

出来ればあのお坊さんのように

 

見返りを求めない優しさを持てる人でありたい。

 

もっと力を抜いて

生きられればいいのに、と自分に対しても人に対しても思う。

 

私にとっては、楽するわけでもなく、頑張りすぎるわけでもない、このバランスをとることがとても難しい。大概は頑張りすぎてしまう。


そしてその難しさがピークだったのが育児。


それまではかなりの仕事人間で、夜中まで仕事して、全神経を仕事に注いでいた時期があった。


あの時の私は髭が生えてたんじゃないかと思うくらい男性的な生活をしてたと思う。


20代なのにお洒落なカフェに行くでもなく、おじさま達と仕事に疲れて夜中に居酒屋やお寿司屋さんに行く日々。


それでも、やりがいがあって楽しかったし、適切に仕事をすれば評価も得て、お給料も上がる。良い循環があったから苦痛ではなかった。


でも子供との生活は違う。


Aをやっている間にBとCのプランを考えてDの準備をしておく。


なんて効率とは無縁の世界。

効率はむしろ邪魔になるだけの、回り道だらけの毎日。


脳みそが論理的思考と明確なビジョンに侵されていた私にはこれが辛かった。


素直すぎる感情表現に、通じない理屈、それに一人で向き合ってる孤独と不安、そして誰にも評価されず、育児のためにおろそかになった部分に着目される日々。


育児に向き合ってるパートナーに対して、


そんな神経質にならなくても。

もっと気楽に。

それより掃除は?

まともなご飯は?

もっとちゃんとできてる人もいるよ。


って少なからず感じるのは、やはりそれが対岸の火事だからなんだと思う。


自分の足元に火がついてるのに、冷静でいられる人はいない。


距離をとって見ることで真実がわかることはもちろんある。


でも、日々の自分の子供との関わり合いって、もっと自分の心と近い位置で行われてる。


自分の生い立ちや生き様や怒りのコントロール、ありとあらゆる剥き出しの事実に、子供という鏡を通して向き合ってしまうものだと思うのです。


それは答えのあるものではなく、とても苦しい。


子供のまっさらな肌や、優しい匂い、どこまでも純真に親を求めてくる愛おしさ。その奇跡に目を向けてさえいれば大丈夫、と気付いてからは共に生きることの素晴らしさに集中できるようになった。


3人育てて落ち着いてきた今思うのは、


3人が私をお母さんにしてくれたということ。


本当に無償の愛をくれたこと。


それが全て。


今苦しんでるお母さんやお父さんがいたら


声を大にしていいたい。


色々気にしなくても大丈夫。

 


育児書は真面目なお母さんは読まない方がいい。


「こうしたらいい子に育つ」



「こうしていない私は悪い母親」


に読み替えてしまうから。


子供はどんなお母さんでも無条件に好きでいてくれる。


そのお母さんが心身共に健やかなのが何より嬉しいことなんだと思う。


部屋が散らかる時もある。


ご飯が適当になる時も。


それでもそんなことは大したことじゃない。


私は今、子供達が愛おしくてしょうがないし、誰に何を言われようが真摯に子供に向き合ってきたから


ようやく自分をお母さんとしてよくやってきたよ、って認めてあげることができた。

 

そしてこれからは、適切に子離れをして、再び自分を探しに出るべきなんだと思う。

 

子供との関係だけではなく、

 

全ての人間同士の関わりにおいて

 

本当の優しさを持つということは容易ではない。本当に許し合うことは痛みが伴う。

 

それでも。


みんな辛いことがあるんだし。


みんな状況が違うんだし。


男女は究極的には分かり合えないかもしれないけど。


癒し合えることもあるし。


日本人全体がもうちょっとゆるゆるしてても。


正しい答えはいつも一つでなくても。


いいんじゃないかなって思う。

おじいちゃんの言霊

「〇〇ちゃんもがんばりぃよ。じいちゃんも頑張るけんの」

 

頑張れ、なんて今まで何度言われただろう。その言葉に励まされる時もあれば、余計にしんどくなる時もあった。

 

でも祖父の発したこの言葉は、今でも私を奮い立たせる。そういう威力のある言葉だ。

 

祖父は大分に住んでいて、物静かで、でも昔気質の教育者だったので妙な迫力があった。

 

たぶん私と祖父は相性が良く、私は小さい頃から祖父のことが大好きだった。祖父からも特別に可愛がられている自負があった。悲しいけれど、例え家族であっても、相性というものがあるのは否めない。

 

私が23の時、祖父の末期がんがわかった。私は兵庫に住んでいたので、有給をとって何度かお見舞いに行った。

 

入院している祖父は、元々細い体がさらに細くなっていた。癌は祖父の脳も侵していて、あんなに凛としていた祖父が度々おかしなことを言う。

 

「エアコンの温度は26度でないといけん」「ちゃんと設定されているか、確認して」

 

これを5分ごとに繰り返す。

 

その度に家族はエアコンのリモコンを取り、温度を祖父に見せなければいけない。

 

数日九州に滞在し、私が帰る日も、朝から祖父はエアコンの温度に取り憑かれていた。

 

私は祖父に会えるのは今日が最後かも、と思い、祖父の手を握って「おじいちゃん、帰るからね。また来るよ」と言った。

 

すると、今までぼんやりしていた祖父の目に力が宿り、

 

私の手を力強く握り返して言った。

 

「〇〇ちゃんも頑張りぃよ。じいちゃんも頑張るけんの」

 

その時の祖父の表情は、元気なときのままの力強さがあり、まるで後光がさしているように見えた。

 

そこに、生きるということの尊さが溢れていた。

 

祖父となんとか笑顔で別れ、病院のエレベーターに乗った途端、

 

涙が溢れた。

 

あぁ、ほんとに最後なんだ。 おじいちゃんは最後の言葉をくれたんだ。

命が燃え尽きようとしている中で、かけてくれた言葉。

 

 

その後、ほどなくして祖父は天国へ旅立ったけれど、祖父のことであの時ほど号泣したことはない。

 

それくらい、あの日の祖父は尊厳に満ちていて、神々しかった。

 

生きているのが辛いとき、いつもあの日の祖父を思い出す。 そして祖父の言霊が私を引っ張りあげる。

 

だから、やっぱり私は言霊はある、と信じる。文章や言葉の力は偉大だと思うのです。

明日から生まれ変わる!(人生で何度目か…)

片付けが苦手、なのに完璧主義、自分をなかなか愛してあげれない主婦。これが私。

 

平和な家庭、これ以上に何を望むのか。

 

でも。

 

かつてはちゃんとしたキャリアがあり、夫よりもバリバリに働いていた時期があった。仕事は私に自信を持たせる唯一のアイテムだった。

 

でも。私はキャリアとの両立よりも育児を選んだ。

 

大きな理由は子供達への罪悪感。働いている母のせいで、みんなが帰る時間に帰れない、預かり保育。

 

病気になってもすぐには飛んで帰れない。

会社にも子供にも申し訳ない。

その気持ちにどうしても勝てなかった。

 

結婚してから上手く夫を育てることが出来なかった私は、家事も育児も仕事も全て1人で背負い、仕事を失った後は子供達と過ごせる時間と引き換えに自由に使えるお金と承認される喜びを失った。

 

人は。

 

もうない、と思うとそれを渇望する。

 

その渇きが、10年の間に私から正しい感覚を奪っていったように思う。

一人で悩み、一人で苦しみ、私を真に理解する者もなく、それでも私は家族に貢献しなければいけないのか。

幸せな生活のどこかにずっと抱えていた満たされない思い。

 

これを今、どうにかしようともがいている。

 

家族を愛するには

 

私が私を愛して許さなければいけない。

 

これまでどうしても出来なかった自分への許し。

 

どうしたら克服できるのかを日々綴っていこうと思う。