hasuvanillaの日記

40代主婦の日記です。

おじいちゃんの言霊

「〇〇ちゃんもがんばりぃよ。じいちゃんも頑張るけんの」

 

頑張れ、なんて今まで何度言われただろう。その言葉に励まされる時もあれば、余計にしんどくなる時もあった。

 

でも祖父の発したこの言葉は、今でも私を奮い立たせる。そういう威力のある言葉だ。

 

祖父は大分に住んでいて、物静かで、でも昔気質の教育者だったので妙な迫力があった。

 

たぶん私と祖父は相性が良く、私は小さい頃から祖父のことが大好きだった。祖父からも特別に可愛がられている自負があった。悲しいけれど、例え家族であっても、相性というものがあるのは否めない。

 

私が23の時、祖父の末期がんがわかった。私は兵庫に住んでいたので、有給をとって何度かお見舞いに行った。

 

入院している祖父は、元々細い体がさらに細くなっていた。癌は祖父の脳も侵していて、あんなに凛としていた祖父が度々おかしなことを言う。

 

「エアコンの温度は26度でないといけん」「ちゃんと設定されているか、確認して」

 

これを5分ごとに繰り返す。

 

その度に家族はエアコンのリモコンを取り、温度を祖父に見せなければいけない。

 

数日九州に滞在し、私が帰る日も、朝から祖父はエアコンの温度に取り憑かれていた。

 

私は祖父に会えるのは今日が最後かも、と思い、祖父の手を握って「おじいちゃん、帰るからね。また来るよ」と言った。

 

すると、今までぼんやりしていた祖父の目に力が宿り、

 

私の手を力強く握り返して言った。

 

「〇〇ちゃんも頑張りぃよ。じいちゃんも頑張るけんの」

 

その時の祖父の表情は、元気なときのままの力強さがあり、まるで後光がさしているように見えた。

 

そこに、生きるということの尊さが溢れていた。

 

祖父となんとか笑顔で別れ、病院のエレベーターに乗った途端、

 

涙が溢れた。

 

あぁ、ほんとに最後なんだ。 おじいちゃんは最後の言葉をくれたんだ。

命が燃え尽きようとしている中で、かけてくれた言葉。

 

 

その後、ほどなくして祖父は天国へ旅立ったけれど、祖父のことであの時ほど号泣したことはない。

 

それくらい、あの日の祖父は尊厳に満ちていて、神々しかった。

 

生きているのが辛いとき、いつもあの日の祖父を思い出す。 そして祖父の言霊が私を引っ張りあげる。

 

だから、やっぱり私は言霊はある、と信じる。文章や言葉の力は偉大だと思うのです。